「ラティモア中国と私」 オーウェン・ラティモア みすず書房 1992
ラティモアは中国生まれの米国人でモンゴル・中国北西辺境を広く歩いた。ルーズベルト大統領
の推薦で蒋介石の顧問に就任し、第二次対戦中米国の対中国政策にも影響を与えた。この経
暦が災いし、戦後「赤狩り」にあい、英国に渡り、リーズ大学で教鞭をとった。
戦争中ウォーレス使節団に参加して中国を往復した経路が本書で初めて明らかにされているが、
興味深い。
往路 ワシントン→アラスカ→ベーリング海に近いシベリア東北部→ヤクーツク→
マガタン(オホーツク沿岸)→コムソモルスク(アムール河)→イルクーツク→
ウラン・ウデ→ミヌシンスク→セミパラチンスク→タシケント→アルアマタ→
ウルムチ→成都→重慶
復路 重慶→蘭州→寧夏→エジン・ゴル→ウランバートル→ヤクーツク→カナダ北部
→シアトル→ワシントン
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