2012年3月14日水曜日

「回想の全共闘運動」 『置文21』編集同人編著 彩流社 2011

東教大・慶大・中大・日大など4大学と共学同・社学同・ML派など3党派に属した5人による回想記
である。著者中最年長の神津(中大)によれば「凡百の全共闘本は面白くない」のだが、本書では二つのユニークな提起がされている。
第一に団塊の世代=全共闘世代ではないということ。日大全共闘に例をとれば活動家数2000名
(2%全学生比率)、最大動員数シンパ層含めて3万人(30%)。当時の進学率(13-15%)をかければ5%弱、行動隊比率なら0.2%にすぎない。
第二に「層としての学生運動」の問題である。前田(東教大)によれば「1967年が重要であり、各大学でなにがやられていたかの検証が重要」で、それを保証したのが{層としての学生運動」の存在だとする。「準備した者の眼」から書かれたのが本書である。

いずれにしても大学闘争を伝えることの困難さは、大学闘争の主体は案外少ないということに
つきる。大学生の構成比に加え、本源的な大学闘争の発火点となった大学の少なさ。「層としての学生運動」の経験のない大学闘争の最中に入学した世代(69年入学)以降の世代に伝えることの困難さなど。


2012年3月4日日曜日

「ラティモア中国と私」 オーウェン・ラティモア みすず書房 1992

ラティモアは中国生まれの米国人でモンゴル・中国北西辺境を広く歩いた。ルーズベルト大統領
の推薦で蒋介石の顧問に就任し、第二次対戦中米国の対中国政策にも影響を与えた。この経
暦が災いし、戦後「赤狩り」にあい、英国に渡り、リーズ大学で教鞭をとった。
戦争中ウォーレス使節団に参加して中国を往復した経路が本書で初めて明らかにされているが、
興味深い。

往路  ワシントン→アラスカ→ベーリング海に近いシベリア東北部→ヤクーツク→
     マガタン(オホーツク沿岸)→コムソモルスク(アムール河)→イルクーツク→
     ウラン・ウデ→ミヌシンスク→セミパラチンスク→タシケント→アルアマタ→
     ウルムチ→成都→重慶

復路  重慶→蘭州→寧夏→エジン・ゴル→ウランバートル→ヤクーツク→カナダ北部
     →シアトル→ワシントン