2018年2月27日火曜日

「清張鉄道1万3500キロ」を読む

   「清張鉄道1万3500キロ」 赤塚隆二 文藝春秋 2017年

 本書はユニークな松本清張研究書である。著者はJR全線を完乗した「乗り鉄」である。筋金入りの乗り鉄にふさわしく、乗り鉄場面のある清張作品320点を精査して、初乗り場面がある134作品をリストアップした。それはデビュー作「西郷札」(1951年)から没後発表された「犯罪の回送」(1992年)まで及ぶ。例えば「西郷札」の初乗り区間は東海道線新橋から横浜まで26.9キロ。「犯罪の回送」では、東北新幹線の上野ー新花巻(496.1キロ)、新花巻ー盛岡(35.3キロ)が、それぞれ市議団、警視庁刑事によって初乗りされるという具合に。かくして清張作品の初乗り路線は1万3500キロにも達する。
 初乗り路線を経年的に考察する意義として著者は二点を挙げている。作品舞台の広がりが一目瞭然であること。そして車窓風景の変化が描写されていることである。作品の舞台は最初は出身地の九州が多かったが、その後全国に広がった。登場人物が足しげく向かうのは信州や山梨、父母の出身地の中国地方である。多忙であった清張には遠方に取材する余裕がなく、東京近郊や甲信地方が自ずと小説の舞台になった。1955年を境に、清張作品ではストーリー中の鉄道旅の比重が大きくなった。それは国鉄の、進駐軍優先から日本人向けのサービス改善を目指したダイヤ改正の影響でもある。長距離急行には2等車、3等車、寝台車、食堂車がフル装備されるようになり、「阿蘇」「きりしま」など旅情を誘う愛称がつけられた。経済白書が「最早戦後ではない」と総括したのは1956年であった。そして続く高度成長の時代は車窓の風景を急激に変えた。かつてはどこの地方都市にもあった駅前旅館。それも昭和とともに姿を消した。「旅する」ことの意味の変化は適格にとらえられていた。
 清張はステレオタイプの社会派ミステリーを濫造する大衆作家と思われているが、風景描写には詩情がある。それは絵葉書的景色ではない。清張が好んで描くのは次のような風景である。「汽車は一時間くらいかかった。可部は、古い、狭い町だった。町の真ん中を川が流れている。大田川という名前で、この下流は広島湾に注いでいる。山と水の町だが、そこはかとない頽廃が旧い家並みに沈んでいた」(「駅路」)その描写を支えているのが乗り鉄場面の「旅情」である。その旅情は長距離列車の旅が持つタイムトンネル効果に起因している。一旦列車に乗ると心理的には、過去をたどったり、いち早く未来に到達したりする。例えば「張り込み」の乗り鉄場面では、逃げる犯人は過去の追憶にふけり、追う刑事達は犯人逮捕の未来に向かっているというように。
 清張は乗り鉄場面を描くことによってマンネリに陥ることはなかった。「乗り鉄」というアイデアの引き出しに多くのネタを持っていたのである。芥川龍之介や三島由紀夫のようにネタ枯渇に悩むことはなかった。著者の分析によれば乗り鉄場面の多いベスト5はそれぞれ以下のようである。(初乗り路線)①「蒼い描点」②「火の記憶」③「犯罪の回送」④「点と線」⑤「白い闇」(既乗り路線)①「点と線」②「時間の習俗」③「砂の器」④「神々の乱心」⑤「不安の演奏」代表作はほとんど入っている。乗り鉄場面の多寡と作品の評価は相関関係にあるといえる。本書はユニークな清張論であるとともに、清張作品のアンソロジーとしても読める。

2018年2月6日火曜日

「第三の眼」の秘密~偽書・盗作の海をゆく①

 「第三の眼~秘境チベットに生まれて 」ロブサン・ランバ 光文社 1957年

 今から60年ほど前の1956年、本書のオリジナル「THE THIRD EYE」がロンドンのセッカー&ワーパーク社から出版され話題を呼んだ。その後10ヵ国以上で翻訳され世界的ベストセラーになった。日本でも翌年邦訳され10万部を記録した。著者はチベット貴族出身の亡命ラマ僧と称するロブサン・ランバ。その数奇な経歴と、知らざれるチベットの奇習の数々が読書界の話題をさらった。一例をあげれば麻酔なしの第三の眼開眼手術やミイラ作り、大ダコに乗っての空中歩行、テレパシーなどのラマ教の秘術等々。然し当初からチベット滞在経験があった多田等観らは、奇抜な内容に疑義を呈していた。果せるかな、その後外電は、ロブサンは詐欺師で生粋の英国人で、チベットはおろか外国へも行ったことがないと伝えた。
 ロブサンの正体はシリル・ヘンリー・ホプキンズという英国人である。当時47才。ブリキ職人の息子に生まれ、ロンドンで職業訓練学校の簿記係を務めていたが、1947年「啓示」を受けて別の人格になったと称していた。名前をクアン・スミス博士と変え、ロンドンの骨董街ケンジントンで、チベット出土と称する骨董品を売買する店舗を構えていた。その顧客に怪しげな予言や奇跡医療を施すまでになっていた。そして次のように宣っていた。「私は心ならずも自分の名を変えた。英国人としての私の生涯の記憶は消え失せた・・・・軽い事故があって、脳震盪を起こしていたのである。(中略)記憶はことごとく消え失せていた。その代わりに私は、チベット人としての自分の生活を幼年時代からはっきりと記憶にとどめているのだった・・・・私の肉体はある真物のラマ僧の霊に憑かれたのだ」
 本書は正真正銘の偽書である。偽書とは記述内容に誤りがあるものをいうのではなく、作者名を偽っているものをさす。それは偽作の意図とは関係がない。記述内容に信憑性があれば偽書でないというのは錯覚に過ぎない。本書が読者を、そのような錯覚に誘うのは、チベットの奇習に関する記述の故である。ホプキンスはこのようなチベットの奇習をどこから仕入れたのか。本書中にそのヒントがある。第13章「第三の眼を用いて」の中に「チャールス・ベル」という項目がある。ベルは言わずと知れたチベット学者で、ダライ・ラマ13世の信頼厚い英国外交官である。その3部作「西蔵 過去と現在」(1924年)、「チベットの人々」(1928年)、「チベットの宗教」(1931年)が最大の情報源である。「西蔵」のみ邦訳(生活社1940年)があり、近年復刻版(慧文社2009年)が出ている。他は未邦訳である。河口慧海の「西蔵旅行記」の英訳(1909年)も利用している。またマルコ・パリス(当時の英国駐ギリシャ大使)の著書「高僧とラマ僧たち」(1930年)からの剽窃箇所が甚だしいとして、厳重に抗議されている。あまつさえパリスは私立探偵クリフォードに調査を依頼した。ロブサンの正体露見はこの探偵の手柄である。
  本書のような偽書が大手ふって流通するのは、チベットが当時も半鎖国状態であったからである。その後状況はやや緩和され、その「需要」は減った。本書も忘れ去られた。1974年講談社から新訳(白井正夫訳)が「偽書」と注記して刊行されたのみである。然し、現在のように「チベット自治区」の政治的秘境化がさらに進めば、本書が亡霊のように甦るかもしれない。