2018年7月2日月曜日

西域の山 ムスターグ・アタ

  「ダッタンの山」(ヒマラヤ人と辺境7)E.シンプトン 白水社 1975年

 ムスターグ・アタは新疆ウイグル自治区の西端、パミール高原の東壁をなすカシュガル山脈中ひときわ高く聳えたっている。ムスターグは氷の山、アタは父の意味で,「氷の山の父」である。この山は新疆僻遠の町タッシュクルガンの北北西にある。唐の時代、安西四鎮の一つカシュガル都督府の出先として葱嶺守捉がタシュクルガンに置かれていた。クンジュラブ峠を越えればギルギッドを経てインド方面には最短路で行ける。またワフジール峠をを越せばワハンを抜けてイランに達する。葱嶺守捉はその両道ににらみをきかせていた。
 ムスターグ・アタを最初に試登したのはヘディンである。1894年4月ヘディンは6人の従者とともにスバシから南南東に向かって北の山稜から登り始めた。然し本格的な登山装備もなく、5334米の地点で登頂を断念した。次に1907年7月スタインがこの山に挑戦した。ヘディン同様北の山稜から登頂を開始した。5030米まではヤクに乗っての登山であった。然し荒天のため6100米地点で断念した。従者のフンザ人は偵察のため更に上まで登っていたが、氷河に阻まれ引き返している。
 この山に初めて近代登山の鍬を入れたのはシンプトンとティルマンである。二人は1930年代にいくどもヒマラヤ登山をしたヴェテランである。二度目のカシュガル領事についていたシンプトンは、ラカポシ試登後帰途中のティルマンとタッシュクルガンで合流した。1947年8月6日である。ティルマンとシンプトン夫妻、シェルパのギャルゲン、トルコ人の従者とヤク使いという小パーティーを編成した。8月11日朝8時山麓のヤムブラクという牧草地を出発。ムスターグ・アタは二つの峰からなっており、北稜と主峰の間がコルに
なっている。ヘディンやスタインは北稜から登ったが、シンプトンらは直接主峰に連なる南稜からのルートをとった。1時間ほど進むとヤムブラク氷河に出た。更に1時間登と南山稜4500米に達した。山稜は非常に幅が広く、最初の750米はさして急斜面ではなかった。推測航法で450米/1時間の割合で高度を稼いだ。15時15分頃岩の最先端に達し、第1キャンプを設営した。シンプトン夫人とその従者、ヤク使いはここから引き返した。12日7時15分出発。アイスフォールの中のルートを通過。それから2時間、ルートを見つけるのは困難だったが、11時半頃下からよく見えるくぼみに着いた。そこから先は柔らかい雪になり前進は苦しくなった。15時半6250米で第2キャンプを設営。十分高度を稼いでいるので、明日ここから山頂を直接アタックすることにした。あと1200米である。13日6時15分出発。ティルマンの調子が悪くもう一日休養すべきであったが、あえて出発した。最初の1時間は雪も良好で順調であった。それから雪の状態が急変し、表面はうすいクラストになった。上の柔らかい雪に30センチ以上ももぐってしまう。天候はよかったが、山稜を越えてくる風は冷たい。肌を突き刺すようで、身体が震えはじめた。太陽は射してきたが、正午になっても暖かみはなかった。「午後、小さい早く移動する雲が、頂上200米くらいの山稜ににとりついた。これで、すっかり、自分たちが頂上のすぐ近くを登っているのだと思い込んだ。いまや登頂に疑いをまったくいだかなかった」(本書P141)14時半頃、傾斜がゆるやかになって、明らかに頂上のドームと思われる地点に達した。「頂上のプラートの広さについてはつかんでいなかった。いまや高度より距離が問題であった。そして、この広い雪の拡がりのなかで、最高点をみつけるのは数時間もとぼとぼ歩きまわらねばならないという思いに気が滅入ってしまった」(同P141)安堵と無念の混じった気持ちでシンプトン達は下山した。この登山をムスターグ・アタの初登頂とするかは意見が分かれている。
 深田久弥によれば、文句なしの初登頂は1956年7月31日のソ連・中国合同登山隊(隊長エフゲニー・ベレツキー ソ連19名、中国12名)である。登頂路はシンプトンのルートをとり、第1~5のキャンプを設営した。第5キャンプから350米をアタックし、31名の大人数で頂上に立った。続いて1959年7月7日に中国隊(隊長史占春 47名)が33名(男25名、女8名)の大量登頂を果たした。新華社電は「中国の年若い男女登山家たちは、難関を突破して海抜7546メートル、白雪におおわれたムスターグ・アタ山頂に五星紅旗をかかげ、女子登山高度の世界記録および海抜7500メートル以上の安全登山の人数の世界記録を樹立した」と誇らかに報じている。ムスターグ・アタの標高について本書や深田はスタイン計測の7433米としているが、合同隊によって7546米と訂正された。ムスターグ・アタ登山はカシュガルから200キロ、カラコルムハイウェイに近いスバシ(3600米)が基地になる。そのためアプローチしやすく、近年多くの登山家を集めている。