2019年9月24日火曜日

ミスターXの退場

  「内閣調査室秘録~戦後思想史を動かした男」 志垣民郎(岸俊光編)
                        文春新書 2017年

 昭和53年一人の政府高官が退官した。高官とはいううものの行政の表舞台には出ず、公安・警備関係就中国民意識の分析を専門にしていた。東京新聞大槻立一記者はいみじくも彼を「ミスターX」と名付けた。Xは内閣調査室に所属し、戦後一貫して保守党政権の屋台骨を裏から支えてきた。普段素顔をさらさないが、毎年8月になると国民の前に姿を現していた。テレビ局の終戦記念番組で放映される「学徒出陣」のニュース映像。その画面の中に、秋雨煙る神宮外苑競技場を角帽、学生服にゲートル姿で行進している。重い三八式小銃を肩にめりこませて悲壮な表情で、東大の前から7番目の列で行進している姿が映し出されている。
  内調(内閣総理大臣官房調査室)は昭和27年4月9日付けで発足した。村井順のもとXを含めた4人が支えた。日本独立の直前に、親米反共の首相直属の情報機関として新設されたのである。内調の組織は6部からなり、Xは主に5部(学者)を担当した。政府に味方する保守の言論人を確保することが彼の仕事であった。いまだ右傾するか、左傾するか分からない有望な学者に研究費を与え、保守陣営に繋ぎとめる。その顕著な例が藤原弘達である。佐藤政権の終盤にXが白羽の矢を立てたのが山崎正和、佐藤誠三郎、高坂正堯、黒川紀章、香山健一、志水速雄らであった。彼らは中央公論などの総合雑誌で健筆をふるい、世論をリードした。本書は彼らを含む125人の学者たちが内調の委託費を受けていたことを明らかにしている。もちろん上山春平のように委託費を受けることを峻拒した例はある。
 委託研究費を受けた125人の中で特筆すべきは江藤淳である。江藤の「秘録」への初出は昭和46年10月21日。日米関係、米政府要人、外交問題など詳しく、「シャープな頭脳、よく勉強もしている」とある。そして「月7万円くらい」の研究費を支給するという。翌年3月10日には「危機の処理についてー勝海州と現代」なる講演をし、江戸城明け渡しをめぐる勝の遠望深慮を解説している。7月にはアメリカ研究会のメンバーは軽井沢で合宿し、その後江藤の「立派な別荘」を訪問する親密ぶりである。 
 Xとはもちろん本書の著者志垣民郎である。なぜ志垣は回想録の形で内調の秘録を公開したのか。志垣は学徒出陣後入隊。中国戦線に配属となり、終戦後「あの戦争の意味」を問い続けた。その後文部省の「雇」という最下級の事務員から戦後復帰。27年に新設された内調に移る。内調の仕事に対する自負心と組織原理にとらわれない志垣の価値観が秘録を公開したと編者は推測する。日本ニュース第77号(昭和18年10月27日)に収められた神宮外苑の「学徒出陣」こそが志垣の戦後の原点であった。本書の意義は松本清張が「深層海流」という小説の形でしか書けなかった戦後裏面史-内調とCIAの密接な関係が内部から明らかにされたことである。