2012年11月3日土曜日

   「神秘の大地、アルナチャル ~アッサムヒマラヤとチベット人の世界~」
                                 水野 一晴  昭和堂  2012年

 アルナチャル・ブランデ州は「太陽が昇る辺境の地」の意味である。インド北西部アッサム州の北
に位置し、チベットと国境を接している。1990年代まで外国人の入域が禁止されていた。現在でもこの地域に入るには「特別区域入域許可証」が必要とされ、許可証を受けたガイドをつけることが義務付けられている。ディラン地方(標高1700米 西カメン県)とその北のタワン地方(標高
3025米 タワン県)の間には峻険な山脈(アルチャナルヒマラヤましくはアッサムヒマラヤという)
が横たわり、交通を阻害している。そのため同じモンパ族でも言語・文化・社会に相違がある。わずかにセラ峠のみ交通可能である。インドにとって中国にたいする重要な軍事的拠点である。
 この地方はマクマホンラインの南ではあるが、伝統的にチベットの支配区域であった。ディラン地方とカラクタン地方では1947年インド独立時にゾンペンによる税の徴収が終わり、ゾンペンはチベットに帰還した。然しタワン地方ではその後もゾンペンによる税の徴収と支配が続いた。1951年2月インド政府の行政補佐官マジョー・カティングがチベットの役人と領土に関する協議をし、ゾンペンたちは最終的にインドの統治を認めて、序々にこの地区を去っていった。これ以降タワン地域の住民の税負担はタワン仏教寺院への税のみとなった。
 本書のハイライトは1947年以前のモンパ民族地域からチベット法王政府のあるラサまでの税の運搬ルートの聞き取り調査である。あきらかになったチベットへの行程は以下である。
タワン地域のギャンカルゾン→プラム峠(1泊目)→ショー(2泊目)→ツォナゾン ここからチベット領である。
ツォナゾン→テングショット(1泊目)→ニュイ・シャトラ(2泊目)→ニュイ・リファン(3泊目)→ギェロプ(4泊目)→カルヤン・ダルティン(5泊目)→タムトウリ・ドレマ・ラガシ(6泊目)→ツェタン(7泊目)
→サムヤ(8泊目)→ディチュン(9泊目)→ラサ   ツォナゾンから10日目にラサにつく。
 このルートは伝統的なインドとチベットの通商路でもある。張騫の「幻の西南シルクロード」の最終行程路よりはだいぶ西に偏している。そして中印紛争時の1962年11月、中国はプラム峠を越えてこの道を通ってアルチャナルの土地を蹂躙しアッサムのテズプール近郊まで侵攻した。

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