2013年12月29日日曜日

「満蒙の特殊権益」とはなにか ~昭和史の謎を追う①

「満州事変から日中戦争へ~シリーズ日本近現代史⑤」 加藤陽子 岩波新書 2007年 

 日露戦争で「十万の生霊、二十億の国帑」を費やし獲得し、以来営々と築いてきた「わが満蒙の特殊権益」とは何か。著者によれば特殊権益とは特殊権利と特殊利益の合体したものである。特殊権利とは条約によって認められた日本の専有権と定義できる。また特殊利益とは、特殊権利の行使の結果として、経済上・政治上・軍事上の施設・経営が行われた場合、その現象をそう表現する。すなわち「南満州及び南部満州に隣接する内蒙古の東部地方における日本の特殊なる権利及び利益」であると定義する。この用語が外交文書に初出するのは1911年の第2回日露協約の秘密条項である。
 その内容は日露戦争で獲得した権利、南満州鉄道の経営権、関東州租借地の租借権、特殊権益などである。外交史家の信夫淳平はその内容を以下のように3種類に大別する。
甲. 条約上の根拠ある特殊権利 ①関東州租借地の租借権 ②関東州内外の関税に関する諸権利 ③南満州鉄道の経営権
乙. 条約上の根拠乏しきも事実的に我国の特殊権益と認むべきもの ①安奉線付属地とその行政権と警察権 ②満鉄付属地内外での領事警察の警察権 
丙.すべて空権化せるもの ①満鉄併行線の不施設権 ②満州内地での土地商祖権 ③居住ならびに営業権
これら特殊権利に基づき「現実に示されている所の政治的及び経済的活動、それが所謂満蒙の特殊権益」であるとする。
 このような「特殊権益 」を果たして列強は承認していたのだろうか。
英国の場合: 外務省によれば英国の承認を得ていたとしている。然し英国は南満州にふれても、東部蒙古については一言も言及していない。また特殊な地位という場合も、日本の優先権や専有権を認めたものではなく、日本と南満州の地理的な近接性に鑑みて、特殊な利害関係に立っているとの認識を表明したものにすぎない。
米国の場合: 第2次ブライアント・ノート(1915年5月11日)において、米国は日華両国において締結せられ、また今後締結される協定は承認しないと言明している。それは「石井・ランシング協定」(1917年7月6日)でもくりかえされている。
著者によれば列強の承認については日本の政権内部でも見解の相違があったという。首相の原敬は新四国借款団の投資活動の範囲に満蒙を含めるかの問題で決着がついたとしている。(「原敬日記」1920年5月9日)然し伊東巳代治は強い疑義を呈していた。
 「特殊権益」 はかくもその根拠があやふやなものであった。然し何故日本はこのようなものに固執したのか。 山田豪一は阿片密売による益金がその実態だからとしている。阿片専売は実に関東州都督府の財政収入の過半を占めるに至った。阿片密売商人の石本鏆太郎は軍の一介の通訳から大連市長にまで成り上がった。(山田豪一 「満州国の阿片専売」 汲古書院 2002年)日露戦後、以来営々として築いてきた満州内地への阿片を売り込む権利、これを「わが満蒙の特殊権益」として意識し、この擁護こそ、大陸経営の第一線に立つわれらが使命との意識がここから生まれた。山田によれば日露戦争後、多くの日本人が大陸に渡った。彼らが唯一生き残る道は田中義一がいう日本法権の袖に隠れ、治外法権の特権を利用し、満州内地では領事館警察の庇護で、華北の京奉線沿線では支那駐屯軍の保護下で、中国人に禁じられた不正業、モルヒネ、武器など禁制品売買に従事するよりはかなかった。日本内地ではふつうの日本人が、満州にゆけば馬賊行為、欺瞞詐欺的商売をあえて行う下劣分子となった。原首相が東京駅頭で中岡良一に刺殺された後、関東州の阿片制度撤廃を言い出す政府首脳はいなくなった。そしてその後「わが満蒙の特殊権益」の危機が叫ばれるたびに、「満州事変」、「熱河侵攻作戦」、「華北分離工作」が生起した。



    

 

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