「図録 旅順博物館所蔵品展」 京都文化博物館・京都新聞社 1992年
大谷コレクションのうち質量とも一番豊富なのが旅順博物館の所蔵品である。新疆省で発掘されたミイラや漢語・チベット語仏典などおよそ1600件26000点が収蔵されている。博物館は終戦時ソ連に接収され、1951年中国に返還された。然し政治的混乱が続き長らく大谷コレクションの実態は不明であった。その後改革開放期にその一部が海外でも公開展示されるようになった。本図録は京都で公開展示(1992年12月12日~1993年1月10日)されたおりのものである。
本図録の意義は従来謎に包まれていた旅順博物館所蔵の大谷コレクションの所在と概要を明らかにしたことである。藤枝晃は次のように解説している。コレクションは旅順博物館所蔵(A-1)、
そのうちより敦煌写本など北京図書館に引き渡されたもの(A-2),韓国中央博物館所蔵(B)、東京国立博物館所蔵(C-1)、京都国立博物館所蔵(C-2)、龍谷大学所蔵(D)、その他個人が所蔵するもの(E)などに分類される。旅順博物館所蔵コレクションについては。
1935年「旅順博物館陳列品図録」(115頁)が出版されているが大谷コレクションは25頁を占めるにすぎない。つづいて1937年「旅順博物館陳列品解説」(80頁)が作られている。両者はセットになって一つの箱にはいって販売されていた。1944年日満文化協会関係者によって「旅順博物館図録」(図版128葉 座右宝刊行会)が出版されている。この図録は戦後の1953年重版されている。なおこのうちより漢文経巻(400点)チベット語仏典(200点)が北京図書館に移されている。
旅順博物館は主館と分館があり、主館には歴史文物が13項目に分類され展示されている。大谷コレクションは主館に「新疆歴史文物」として展示されている。(1988年7月見学した秋山進午
富山大教授によれば2階、現在博物館ホームページによれば1階)博物館は人民解放軍海軍基地
に近接しており、外国人には厳しい入場制限がなされていた。然し2009年夏以降緩和され、現在は現地旅行代理店の扱う見学ツアーなどで入場は可能である。
旅順博物館の来歴はもと帝政ロシアの将校倶楽部の建物を日本統治下の関東都護府が関東都護府満蒙物産館として開館したものである。その後関東都護府博物館(1918年)、関東庁博物館(1919年)、旅順博物館(1934年)と名称を変えた。終戦時ソ連に接収され東方文化博物館(1945年)と改称した。その後中国に返還され旅順歴史博物館(1951年)、旅順博物館(1954年)となった。なお旅順博物館の扁額は郭沫若の揮毫によるものである。然し文化大革命中5年間閉館の憂き目にあっている。まさしくこの建物は過去一世紀にわたる中国現代史の激動を見続けてきたといえる。
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