「辺境へ」 大谷映芳 山と渓谷社 2003年
チベットのヤルツァンポ川とインドのプラマプトラ河はかって全く別の川と考えられていた。ツァンポ川はチベット高原を西から東へ流れて、ヒマラヤ山脈の東側で大きく向きを南に変える。北に位置するギャランペリ(7249米)と南のナムチャバルワ(7782米)の二つの山にはさまれて大屈曲部を形成する。ナムチャバルワの山頂から河原まで高度差5千米、眼の眩むような断崖が落ちている。それ故この二つの川が同一であることを実証するのに百年以上の歳月を要した。
「空白の五マイル」の著者角幡唯介がこの空白部を踏査したのは2009年だが、その旅の終わり部分に興味深い結末が語られている。ツァンポ峡谷から脱出した角幡はポミ(波蜜)-メト(墨脱)間の道路沿いにあるガンデン村で公安の取り調べを受けた。ガンデン村は行政地区としては「メト県ガンデン郷」で、メト県の主邑であるメトで警察に出頭しなければならない。「めったに行けない中印国境の村メトに、やや変則的ではあるが、合法的に入域できるのは幸運かもしれないと思った」
(「空白の五マイル」282頁)然し結果的には、メトではなくポミを経由して「八一」の警察に出頭することになる。
角幡が訪れることが出来なかった「めったに行けないメト」に入った日本人がいる。テレビ朝日のディレクター大谷映芳、本書の著者である。番組の取材で1996年メトに入る。ルートはラサからポミ経由である。ポミから地図に載っていない軍用道路を1日ほど車で走る。5千米級の峠を越えて、ヤルツァンポの支流を下るように道がつけられている。かつてはインド国境のメトまで道を造ったが、土砂崩れで、今では車道や鉄橋の名残があるだけである。車が使用できたのはここまで。後は徒歩でのキャラバンとなる。このあたりの標高は8百米しかなく、バナナの木まである亜熱帯である。道は大崩壊の跡に消えている。落石を避けながらの危険な行程である。大谷の見たメトは「平地が多く、田んぼや畑の緑が鮮やかで、立派な寺院や聖地があったりし、ヤルッアンポの中では最も豊かな土地に思えた。しかしインドはすぐそこ、大きな軍事基地が南を睨んでいる」(本書214頁)とある。三日間滞在し、めったに入れる土地でないメトをじっくり取材する予定であったが、当局との折衝でそれもかなわなかった。取材班は角幡とは違い正式の許可をとっていたのだが、このありさまである。
ヤルツァンポはインドに入るとシアン川そしてプラマプトラと名前をかえる。チベット側からつながる山地の部分がシアン川で、平原に出たあたりからプラマプトラ河となる。現在は前者がアルナチャル・ブランデッツ州で、後者がアッサム州に入っている。シアン川流域の景色はチベット側とかわらない。ここに住むアディ族は、遠い昔アボール族と呼ばれた。裸に近い格好をしており、凶暴で好戦的な部族としてヨーロッパの探検隊に恐れられた。
本書はこの「幻の大峡谷」の他、西ネパール、ブータン、グレート・リフト・バレー、ギアナ高地、パタゴニア、グリーンランドなど7つの辺境の紀行が収められている。すべて「ニュースステーション」の企画などの取材記録をもとにしている。「登山家ディレクター」大谷映芳のえりすぐりのれポートである。
0 件のコメント:
コメントを投稿