「核の砂漠とシルクロード観光のリスク」 高田純 医療科学社 2009年
中国は新疆省楼蘭周辺地区で、1964年から1996年までにのべ46回の核爆発実験を行っている。総威力22メガトン、広島原爆の1375発分に相当する。1980年までは主に空中・地表での爆発、1982年から1996年は地下実験が実施された。とくにメガトン級核爆発では、著者の計算によれば19万人が中枢神経死などで急性死亡し、129万人が急性放射線障害などで甚大な健康障害になっているという。
核実験場は楼蘭地区のどこにあるのだろうか。旧ロプ湖床だという説があるが、これは違う。楼蘭遺址(LA)からコンチェ河に沿ってボストン湖に向かう北西方向の長径165キロ、短径100キロの楕円の範囲の砂漠地帯に核実験場は集中している。南方(すなわちLAに近い)ではメガトン級の大型核爆弾、北方では中小型爆弾を使用している。
1980年NHKのシルクロード取材班はメガトン級地表核実験が行われた楼蘭地区の砂漠を巡っている。3月29日敦煌莫高窟を出発し、4月8日809高地で新疆部隊に引き継がれ、3日後ロプノールがあるとされる720高地に到着。翌13日北方80キロはなれた地点(楼蘭の女王撮影のため)往復。一旦720地点に戻り、北西50キロの楼蘭遺址(LA)に移動した。楼蘭の女王ミイラ地点と楼蘭遺址を結ぶ直線から西側地域に複数の核爆発跡地がある。NHK取材班は、4~0.6メガトン核爆発地点の近傍をめぐっている。彼らの全身は核の砂が放つガンマ線で、10日間も照射され続けた。さらに風が舞い上がって核の砂塵が肺に吸着した。その取材で白血症及び肺ガンなどの健康リスクを負っている。
また1996年7月の最後の核実験が行われた前後にこの地域に潜入した日本人がいる。西燉
(仮名)である。秘かに敦煌を出発してコンチェ河をさかのぼった。「孔雀河は紅葉の季節が終わりかけていて、春の緑の葉をつけていた梧桐の樹はすっかり黄色くなって、冷たい微風に揺らぎ、冬の訪れを感じさせている。そこは軍事基地跡だった。六○を越える全ての建物は巨大な力で吹っ飛び恐ろしい様相を呈していた。原爆地上実験の際のそれである。」(「砂漠の果ての楼蘭」 西燉
朝日ソノラマ 1997年)
中国の核実験は1972年の日中国交回復以降も33回に及ぶ。72年以降96年までに27万人の日本人がシルクロード観光に訪れている。核爆発を繰り返す危険な期間に旅行していた。核ハザードはそれ以降も残る。97年から2008年までにさらに57万人の日本人が同地区を訪れている。とくに楼蘭地区の危険度は高い。著者によればシルクロード観光の核リスクは以下の五つである。
①核爆発に巻き込まれて即死
②核爆発を目撃し急性放射線障害で死亡
③核爆発を目撃しないが、核爆発直後の砂を被り急性死亡
④急性障害とはならないが核の砂を被り後障害である白血病、固形ガンを帰国後発症する
⑤妊婦が核の砂を被り、死産・流産・奇形の出産など
①から③までは行方不明者となり帰国していない。97年以降の旅行者でゼロ地点に接近した場合は④、⑤の可能性がある。1994年に食道ガンを発症した楼蘭研究の第一人者長澤和俊はその顕著な例である。1988年の楼蘭遺址踏査をはじめ、数多いシルクロード踏査が原因である。
核リスクは旅行者だけにとどまらない。地元住民とくにウイグル族の被害はさらに深刻である。楼蘭地区で行われた3発のメガトン級核爆発の被害は核の砂による急性死亡19万人(A地区 風下245キロ)、白血病死などの急性症は129万人(B地区 風下450キロ)に及ぶ。さらに3万5千人以上の死産・奇形などや3700人の白血病、1万3千人以上の甲状腺ガンの発生が推定されるという。
以上は著者の推定である。然し著者のプロジェクトチームは2012年8月に13日間かけてタリーム盆地の周辺で隠密裏に核ハザード調査を実施し、推測を裏付ける調査結果を得ている。もちろん著者本人は参加していない。現地警察によって指名手配されているからである。
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