2015年7月16日木曜日

「『昭和天皇実録』の謎を解く」を読む

  「『昭和天皇実録』の謎を解く」 半藤一利他 文春新書 2015年

 「昭和天皇実録」は宮内庁が24年5か月をかけて編纂した1万2千頁にのぼる大冊である。この膨大な「実録」が今年(2015年)3月最初の2巻が刊行された。今後5年をかけて全19巻が完結する。「あの暗い時代に、昭和天皇がいかに苦悩し、苛立ち、あらゆるものと戦わねばならなかったのか。注意深く『実録』を読めばよむほどに、それがよくわかる」と本書の著者半藤一利は述べている。本書はこの長大な「実録」を読むための勘所を与えてくれる。
 昭和天皇には三つの顔があった。①立憲君主としての顔、②陸海軍を統帥する大元帥としての顔、③両者の上位にさらに、皇祖皇宗につらなる大祭司であり神の裔である「大天皇」がいた。立憲君主としての天皇の最初の試練=挫折は張作霖爆殺事件である。時の総理大臣田中義一の食言に対し辞職を迫った天皇は、元老西園寺公望から強く戒められた。たとえ意に沿わなくても、閣議で決められたことに「ノー」は云えないと。何よりも昭和天皇は軍人として育てられた唯一の天皇であった。11歳で陸海軍少尉となり、大佐までいって、大正天皇が崩御したのち大元帥となった。
軍は「統帥権の独立」をタテに、この立憲君主と大元帥の相克を利用した。その最もたるものは満州事変とその拡大過程である。これは太平洋戦争末期まで続いた。天皇の悩みは深かった。「実録」によれば太平洋戦争末期、特攻の報告を受けた天皇は「そのようにまでせねばならなかったか。しかし、よくやった」とという言葉を残している。前者は立憲君主としての言葉であり、後者は大元帥としての言だと半藤は解釈している。そして天皇は二つの顔をもっていることに極めて自覚的であり、それがまた苦悩を生むことになったとも。
 天皇は現人神に祭り上げられていたことには不満をもっており、それを語っている。然し現人神ではないが、神の末裔であるとは考えていた。これが皇祖皇宗に連なる大祭司であり神の裔という観念である。終戦のおりの「聖断」はこれによって説明される。この場合陸軍と天皇の「国体観」は微妙に違う。陸軍(国民)にとっての「国体」護持とは、武装解除されないこと、戦争責任をとらされないこと、賠償金を支払わされないことである。然し天皇の考える「国体」とは「三種の神器」すなわち皇祖皇宗の問題であった。
 「実録」は「さりげない描写や行間から、昭和天皇の息づかいや生身の肉声が聞こえてくるように思えた」と保坂正康は述べている。本書はこの長大な「実録」を読むうえでの、迷路に踏み込まないための指針を用意してくれる。

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