2016年3月22日火曜日

続・ワハーン回廊を行く

    「インシャラ~63日間アフガニスタンへの旅」鶴田真由 メタローグ 2002年

 前回「ワハーン回廊を行く」で紹介した平位剛の2001年ワハーン回廊踏査とほぼ同じ時期に、この地域に入域した日本人がいた。本書の著者を含むテレビ朝日のクルーたちである。平位の著書「禁断のアフガニスタン・パミール紀行」の出版元ナカニシヤ出版の中西社長が興味深い事実を指摘している。「この本が原稿段階のとき予期せぬ出来事がおこった。2001年に中国側から許可もなしに、鶴田真由という女優を連れた日本のテレビクルーがワハーンに入ったのである。帰国後、それが日本で特番として放映された。」(「山の本をつくる」中西健夫 ナカニシヤ出版2013年 P162)こちらは「潜入」というのがふさわしい。平位によれば、テレビクルーたちはマスード派によってすぐにワハーンから追い出されたという。放映された映像(「地球最後の秘境ワハーン」2001年12月25日21時2分~23時19分)も中国側ばかりの描写で、ワハーン側の映像は峠付近だけでほとんど画像がなかった。実際2時間17分の番組で2/3は中国の映像である。
 それは平位・鶴田の日程を比較すれば一目瞭然である。平位は6月9日関空を立ちパキスタン経由でワハーンに入り、8月1日にはチトラル(パキスタン)に帰っている。旅程のほとんどはワハーン(アフガン)である。それに対して鶴田の日程は6月18日東京を出発し、中国(6/19~28)、パキスタン(6/29~7/8)を経由してイルシャド峠を越えてアフガンに入域。ワハーン東南部をかすめるように潜行して(7/19~8/7)、バロギール峠越えでパキスタン領に入国(8/8~19)してから帰国している。ワハーン滞在は日程の1/3にもみたない。然し両者の時期の接近には驚くべきものがある。平位がワハーン中央部(6/17~39)、小パミール・大パミール(7/1~30)踏査を終えてバロギール峠を越えたのが7月31日。鶴田がその東のイルシャド峠を越えてワハーンに入ったのが7月19日である。平位隊の踏査が終わって空白になったワハーン回廊に鶴田らのテレビクルーが入ったのである。その行程はパンジョオブ、ボザイグンバス、サルハドの狭い範囲にすぎない。
 番組ではアフガン側(マスード派)の許可を得てのナレーションがあり、本書でも無許可という記述はない。然し本書を子細にみれば無許可という痕跡はある。7月24日ワハーン回廊に入域したばかりのパンジョオブの記述。
「昨日パンジョオブに到着すると、キルギス人がやって来た。(中略)迷彩服を着て、銃を持ち、子分を三人ほど連れている。話によると、このあたりはキルギス人のエリアで彼らが取り仕切っているため、パトロールに来ているらしいが、目がいちゃついていて恐ろしい。」(本書P118)
8月6日サルハドで軟禁の記述。
「ここはアフガニスタン、許可なんてあってないようなものなのかもしれない。どう考えても私たちの立場は弱い。(中略)ここにいるコマンドさんたちの上層部の人たちと連絡がとれるまでは動けないということになった。」(本書P156~7)
そしてようやくバロギール峠越えでパキスタンに帰還。まさしく鶴田らのテレビクルーは無許可でマスドー派の眼の届きにくいワハーン東南部に「潜入」し取材を試みていたのである。その結果「摘発」されたのである。
 なお余談だがワハーン回廊は「ゴルゴ13」の舞台としても登場する。ゴルゴのルーツ篇である第141話「蒼狼漂う果て」はアフガニスタン・タラキ政権時代(1970年代末)の話。中国領よりワフジール峠を越えてワハーン回廊に非合法に越境してきた遊牧民の一団がいた。新疆省での核実験で被爆しアフガン領に逃れてきた。その長老がゴルゴの父親とおぼしき五島元少尉という設定である。ワハーン回廊はかくも入域が困難な現代の秘境であることの証左でもある。
 現在アフガン領のワハーン回廊に入域するのは危険で不可能に近い。然しパンジ川対岸のタジキスタン領のイシュコシムまでは行ける。タジキスタンの首都ドゥシャンベからゴルノ・バダフシャン州の州都ホログまでは飛行機(週3便)で45分。乗合タクシーでは12~16時間。ホログからイシュコシムまでは乗合タクシーで2時間。町にはハニスという名のホテルがある。対岸のアフガン領には同名のイシュコシムの町がある。国境の緩衝地帯にはアフガンバザール(土曜日開催)がある。ゴルノ・バダフシャン州に入るにはビザのほか「入域許可証」が必要である..。
(参照「地球の歩き方中央アジア2015~16」)


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