「林芙美子と屋久島」 清水 正 D文学研究会 2011年
林芙美子の「浮雲」は早稲田派文士の同人雑誌「風雪」に昭和24年11月から翌年8月まで掲載された。自由に書くためあえて同人誌を選んだ。その後9月から26年4月まで「文學界」に書き継がれた。小説の主要な舞台は仏印(ベトナム)の高原の避暑地ダラットである。物語はタイピストとして仏印に渡ったゆき子と農林技師富岡の不倫の恋の追憶から始まる。南方での甘美な時間の回復がめざされるが、敗戦後の日本ではそれは望むべくもない。そして最後に二人が行き着いた場所は屋久島であった。作者はなぜクライマックスの地として屋久島を設定したのだろうか。
芙美子は「浮雲」連載中の25年4月屋久島に取材旅行を実施している。それは「屋久島紀行」(「主婦の友」25年7月号)として発表されている。4月13日急行の2等車で東京を出立し、門司で1泊し、長崎に1週間ほど滞在する。天草、熊本を経て鹿児島に着いたのは4月22日である。
欠航のため4日目の26日朝9時照国丸(千トン)に乗船、午後2時種子島の西之表港に着く。午後9時出航、翌朝6時屋久島宮之浦を経由し、午前9時安房の沖に到着。接岸できる港や桟橋はなく、艀で砂浜に上陸する。吊り橋を渡った所にある安房館に宿泊する。「屋久島紀行」では「安望館」と記されている。現在は建て替えられ「屋久島観光ホテル」になっているが、当時は民宿程度である。風邪気味であった芙美子には安房館の印象はよくない。特に「紀行」ではそうである。「宿は廻船問屋のようなかまへで、藁包みの積み上げてある荷物の横から、女中の案内で二階へ上がった。板をたたきつけた床の間にはランプが下がっていた。床の間いっぱいに俳句を書き付けた紙が張りつけてあった。(中略)二階は三部屋つづきだったが、表の間には、一緒のはしけで来た種子島の税務官吏が来ていた。(中略)オムレツに薄い味噌汁。黒塗りの飯びつにぎっしりと御飯が詰めこまれている。」翌28日、朝バスにて尾の間に行き、下屋久の村役場・砂糖製造所を見学。安房館に戻り、それからバスで十里の道を宮之浦に向かう。夜10時到着し田代館に宿泊する。一行は中山編集員、河内カメラマン、運転手・助手3名など総勢6人の大人数である。そして翌29日たちばな丸(350トン)で出航、30日鹿児島に帰着。正味2日間の屋久島滞在である。
「浮雲」では安房館は「米の配給所と運送を兼ねている旅館は、旅館らしくないかまえで、陰気な店である。(中略)どこを見ても、壁土のない、板壁の素朴な旅館であった」(「浮雲」新潮文庫P346)と描かれている。そして「夕食が運ばれて来た。赤いカニの煮つけがつき、野菜らしいものは何もない。(中略)飯だけが、山盛りに、小さい塗りびつの蓋の間からはみ出ていた。米の不自由なところなのに、妙なことだと富岡は苦笑していた。酒は芋焼酎とかで、鼻へ持ってくると、ぷんと臭い。
徳利が、二本もやかんにつけてあったので、富岡は芋焼酎とは思わなかったのだ。女中に、日本酒はないかと聞くと、この島にはないのだと云った。」(同P348)とある。編集者の回想によれば、芙美子は種子島ではおいしいと焼酎を飲んだが、屋久島の焼酎は飲まなかったという。安房館のみならず屋久島の印象はよくなかったのだろう。ちなみにこの焼酎は「三岳」という銘柄で、現在では有名である。
芙美子には印象の悪い屋久島だが、富岡は違う。種子島から屋久島に向かう航路で、「久しぶりに、島の濃緑な色を眺めて、富岡は爽快な気」がしている。富岡は屋久島に第二の仏印の夢を見ていたからである。米軍占領下のこの当時、屋久島は日本人が行ける最南の地であった(トカラ列島の復帰は昭和27年2月10日、奄美群島は28年12月25日)。然しそこは一か月に三十五日も雨が降るという陰鬱な島であった。
高山京子(「林芙美子とその時代」論創社2010年)によれば、芙美子は幼少期から青年期にかけて最下層の庶民階級に属していた自己への劣等感があったという。そこから脱出したいという強烈な要求が、戦争への協力に結びついた。日中戦争での「漢口一番乗り」や太平洋戦争で「南方徴用」に応じたのも、その夢を追った結果である。シンガポールやジャワを巡った芙美子が仏印に立ち寄ったかは定かではないが(中川成美はその可能性を示唆している)、ダラットはその夢の目的地であった。然し敗戦は、その見果てぬ夢を無残なものにした。それのみならず戦争の加害者としてのうしろめたさを引きずらざるを得なかった。そういう意味で「浮雲」は戦争の加害者としての日本人を主人公とした作品であり、「植民地支配とはいったい何であったか」を描くいた小説である。日本人が戦争の加害性を意識するようになるのは、1960年代のベトナム反戦運動を通してである。「浮雲」はずいぶん早い例である。そしてそこから先に行く航路がないどんづまりのような屋久島は、「浮雲」のクライマックスの舞台にふさわしいといえる。
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