「ノーベル賞の舞台裏」共同通信ロンドン支局取材班編 ちくま新書 2017年
毎年12月になると、スウェーデンとノルウェーの両首都は厳冬にもかかわらず華やぐ。12月10日は発明王アルフレッド・ノーベルの命日である。この日ノーベル賞の授賞式が行われ、俄然世界の目がこの両首都に集まる。文学賞など4賞の授賞式はストックホルムだが、平和賞授賞式のみはオスロで行われる。両国は兄弟国だが、ノーベル自身は、スウェーデンよりノルウェーの方がより平和志向が強いと考えていたからだという。ノーベル賞選考過程は厚い秘密のヴェールに閉ざされている。然し50年を過ぎると扉がわずかに開き、その一端を覗うことが出来る。
文学賞は最も客観性が担保しにくい分野の賞である。そのような背景の下で村上春樹をめぐる「ノーベル賞狂騒曲」が繰り返される。「ハルキ狂騒曲」が始まったのは2006年。この年世界最大のブックメーカーが受賞者予想のオッズで村上を6位に位置付けた。以降村上はオッズ上位を維持、2012年には1位となった。然しスウェーデンの事情通によれば「常に候補者リストには入っていると思うが、専門家の多くは受賞が現実的とは見なしていない」と言う。「文学好きの玄人」より、「幅広い一般読者」に支持されているという通俗性をアカデミーは危惧している。そもそも最終候補(5~6人)に入っているか疑問符がつくとしている。
平和賞も問題の多い分野である。百年を越すノーベル賞の歴史の中で最も問題視されているのが佐藤栄作への平和賞授与(1974年)である。授賞理由の「非核三原則」のインチキ性(有名無実なこと)がその後明らかになった。沖縄返還交渉中の69年に有事の際の沖縄への核持ち込みをニクソンと密約した文書の存在が判明したのである。最もこれは69年当時先進的学生が徹底的に暴露・批判したことではあるが。
経済学賞だけはノーベルの遺言には記されていない。1968年にスウェーデンリスクバンクの300周年記念事業として創設されたものである。正式名称は「アルフレッド・ノーベル記念スウェーデンリスクバンク経済賞」である。賞金も同行が負担している。ノーベル賞の公式サイトにも「経済学賞はノーベル賞ではない」と明記されている。賞の選考も偏向的で問題が多いとされている。新古典派や新自由主義の受賞者が多く、とくにハイエクやフリードマンなど「シカゴ学派」が78名中26名と突出している。
最近ノーベル賞で問題になっているのは、オリンピックのように国別でメダルの数を競う傾向である。これは比較的客観性が担保されている理系の物理・化学・医学生理学賞の分野で顕著である。例えば山中伸弥が医学生理学賞授賞の報を受けた時の談話ににノーベル賞委員会は激怒した。「日本、日の丸の支援がなければ、こんな素晴らしい賞を受賞できなかった。まさに日本人が受賞した賞」(於京大 2012年10月8日)は日本では当たり前だが、委員会の考え方は違う。国家と個人を切り離すのがノーベルの遺志なのである。それ故ノーベル財団は、受賞祝賀会を各国外交団の大使館や大使公邸で行うことに不快感を示し、禁止した時期もあった。以上共同通信の記者が僅かに覗いたノーベル賞の舞台裏の一端である。その伝で言えば、それまでのメダルラッシュに比して受賞者の無かった2017年は極東の大国日本の最初の「ゆらぎの年」であるかもしれない。
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