2013年1月14日月曜日

   「空白の五マイル」  角幡唯介 集英社文庫  2012年

 中国国家測量製図局によれば、世界最大の峡谷はグランド・キャニオンではなくチベットのヤル・ツァンポ大峡谷だという。峡谷は全長504.8キロ、平均深度2268メートル、最も深いところは69
00メートル。長さで134.6キロ、最大深度で2809メートル、グランド・キャニオンを上回る。
 ツァンポ川はヒマラヤの高峰ナムチャバルワ(7782メートル)とギャラベリ(7294メートル)の間で大屈曲して忽然と消える。下流でどの川に流れ込むのか、ヨーロッパではながらく謎であった。ようやく1765年英領インドの初代測量局長レネルはアッサムに分け入り、プラマプトラを探検し、原住民の情報・その他の資料からツァンポ=プラマプトラだと推論した。1880年パンディトのキントップが苦難の果てにツァンポの大屈曲部に達した。川は150フィートの「シンジ・チョギャル」という断崖に滝となって落ちている。いつも虹が見られた。この大滝の情報は以降四半世紀にわたり、探検家に幻想を抱かせることになる。1913年ベイリーは、キントップの大滝を探索するが、幅50メートルのゴルジュの泡立った白い水が、一連の早瀬となって落下するだけであった。1924年キングトン・ウォードもツァンポの大屈曲部を目指すが、大岩壁に阻まれ、大滝は視認できない。
 著者は偶然手にした本(「東ヒマラヤ探検史」)でツァンポ川探検史とキングトン・ウォード以降、その空白部分はほとんど解明されていないことを知る。21世紀に残された最後の地理的空白である。2002年の第一回探検では「空白の五マイル」はほぼ踏査した。未踏査部分はわずか2キロにすぎない。そして2009年、無許可でチベットに入境し、単独でツァンポ峡谷地帯に再び潜入する。
キングトン・ウォードの伝説のルートをたどりながら。然し著者の行く手には1000メートルにおよぶ巨大な岩壁がたちはだかる。1950年のアッサム大地震(M8.5)がルートの地形を根本的に崩壊させていたのだ。
 単独行で衛星携帯電話など外部と通信できる手段を持たず、無許可(入境許可証をとらず)でする著者の旅はスリリングである。あたかも昔の探検家の冒険を読むようである。本書は「第8回開高健ノンフィクション賞」、「第42回大宅壮一ノンフィクション賞」、「第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞」をトリプル受賞している。まことにむべなるかなである。

 

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