「白鳥事件 偽りの冤罪」 渡部富哉 同時代社 2013年
著者は「白鳥事件」が「冤罪」ではなく、日共札幌地区委員会と翼下の軍事組織「中核自衛隊」の犯行であることを膨大な資料と「白鳥グループ」など関係者の証言から立証している。そして所謂軍事組織「中核自衛隊」存在の否定は、「公判闘争その他いろいろの事情からだ」という「日本の黒い霧」の記述、をはからずも松本清張は本音を書いていると指摘している。本書にはこのような看過できない興味深い示唆が随所にある。以下二、三紹介しよう。
まず松本清張「日本の黒い霧」(以下「黒い霧」)について。「白鳥事件」の初出原稿「北の疑惑
ー白鳥事件」が文藝春秋誌に掲載されたのは1960年4月号であり、単行本刊行は1973年である。清張はこの間に日本共産党に入党(秘密党員)したとしている。その手土産として、当時国民の間にあった「白鳥事件は共産党の犯行ではなかったのか」というような共産党に対する大きな疑惑を晴らすため「黒い霧」を一部書き直したとしている。その真相として「佐藤が参加した松川事件の極秘の共産党の会議に松本清張が参加した」という松川事件の下被告佐藤一の証言を紹介している。(本書P219~220)また清張は入党したが、六全協後の党の混乱には関係がないし、まったく知らないから党のいうことを鵜呑みにしたともしている。
日共の元軍事関係の責任者椎野悦郎の聞き取り調査も興味深い。中核派の本多書記長はかなり以前から椎野と極秘の連絡があった。著者は椎野と椎野のマンションの部屋で本多書記長、北小路敏ともう一人の政治局員と会っている。会談の最後に椎野が「内ゲバは止めなければ駄目だよ」と念を押し、本多と北小路、もう一人の政治局員が顔を見合わせて、笑顔で「わかりました」といったという。本多が革マル派との内ゲバで虐殺される一週間前のことである。「革マルに本多のアジトが探りだせるだろうか、内ゲバを止めさせることに反対する者の仕業だろう」と椎野は悔しがっていた。そしてなぜ内ゲバがこうも激しく闘われるのかという西山隆二(ぬやまたかし)の問いに「それは六全協にあるんだ。党が軍事問題の総括をきちんとやらなかったからだ」と椎野は答えている。(本書P277~278)
最後に北京亡命の「白鳥グループ」と交流の深かった吉留昭弘の新左翼運動に対するコメント。
「日共の右翼日和見主義を批判し、反スターリン主義を掲げたが、その批判は底が浅く多く極『左』
偏向に陥った。内ゲバは致命的であったが、その思想背景にはスターリン主義の『前衛党』論がありました。その反スターリン主義はあまりにも浅薄に過ぎました。」(本書p336)
まだまだあるが後は本書を読んでのお楽しみである。
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