2013年4月3日水曜日

みたび大谷探検隊について

  「シルクロードの発掘秘話」 ピーター・ホップカーク 時事通信社 1981年

 大谷探検隊が英国政府によって軍事目的を持ったスパイであるとして厳しくその行為を監視され、日本外務省も厳重な抗議を受けていたことはすでに述べた。(「再び大谷探検隊について」参照)それではその真相はどうであったのか。本書の著者ホップカークはスパイ説の否定に傾きながらも、完全に否定しきれないという。その根拠は東京国立博物館の杉山次郎東洋課考古室長の「大谷探検隊は考古学以外の任務をになっていたかもしれない」という示唆である。そしてなによりも①大谷光瑞はいかなる目的で中央アジア探検を行ったのか②探検の詳細はどうであったのか③収集された遺物の種類、今それがどこに保管されているのか、すべて明らかでないからだと指摘している。
 ①については近年研究が進んでいる。②に関しては「新西域記」などがあるのみで、調査記録としては不十分である。③について紹介しよう。
大谷探検隊が収集した膨大な遺物所謂大谷コレクションは数奇な運命をたどり散逸しはじめた。
その原因は光瑞が疑獄事件に巻き込まれ教団門主の地位を去り、その私邸二楽荘をコレクションの一部ともども政商久原房之助に売却し旅順に去ったからである。久原は同郷のよしみでコレクションを寺内正毅朝鮮総督に贈った。現在ソウル国立博物館に収められているコレクションである。
光瑞が旅順に移したものは旅順博物館にある。そのほか国内にあるもの、韓国、中国に所在するものはそれぞれ三分の一である。
 上山大峻龍谷大学学長によれば大谷コレクションの現状は以下のように分類される。
大谷コレクションⅠ(日本、龍谷大学図書館蔵) 仏典類など中心に約9000点。有名な李柏文書も含まれる。図録として「龍谷大学創立350周年記念・大谷探検隊将来西域資料選」(龍谷大学
1989年)がある。
大谷コレクションⅡ(日本、東京国立博物館蔵) 美術資料が中心。図録としては「東京国立博物館図版目録・大谷探検隊将来篇1971年」がある。
大谷コレクションⅢ(日本、京都博物館蔵) 同館の「松本コレクション」の中に入っているもので、現物が散逸したと考えられていた「西域考古図譜」の原資料に相当するものの一部。
大谷コレクションⅣ(日本、その他個人・機関の手にあるもの) 
大谷コレクションⅤ(中国、旅順博物館蔵) 16000件、260000点。漢文経典写本断片など中心にミイラもある。全コレクション中の白眉。「旅順博物館図録」(座右宝刊行会 1943年 1953年再版)がある。
大谷コレクションⅥ(中国、北京図書館) 旅順博物館よりいかんした巻子経典621点。目録として「中国所蔵『大谷収集品』概況~特別以敦煌写経為中心~ 」(西域研究会 1991年)がある。
大谷コレクションⅦ(韓国、ソウル国立中央博物館蔵) 美術品が中心。「新西域記」付録2の「朝鮮総督府博物館中央亜細亜発掘目録」に載せる品目に相当。図録として「中央アジア美術」(国立中央博物館 1986年)がある。
 旅順博物館のコレクションは質量ともに大谷博物館の白眉である。旅順は軍港ということもあり外国人の立ち入りは近年まで厳重に禁止されていた。然し最近解放が進みパックツアーなどでも容易に見学することができる。
 

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