2013年9月16日月曜日

神戸新聞が記録した関学全共闘の闘い~その4

  「神戸新聞  昭和44年6月 ~マイクロフィルムから」

 関学6項目要求闘争は2/26~27大衆団交の時点で実質的には終焉していた。やっと勝ち取った「3/5団交確約書」だが、その成果を「小宮辞任」という形で反故にされた全共闘には明確な闘争の展望は描けない。それに全共闘の物理的戦力は破断界に達していた。全学封鎖によって守備する建物は多い。学院側のロックアウト措置により(後期試験はレポートに代わり)、登校する学生の数もめっきり減った。人民の海を奪われたゲリラのように全共闘は閑散としたキャンパスの中で孤独をかこつことになる。そしてこの闘争の敗北過程は「民主的教授会」の自己解体と並行して進んだ。そしてそれは神津陽によれば、全共闘世代を含むその後の大学教員の思想的壁となっている。その後、どの時代の教員も、いかなる大学改革を語ろうと、高邁な学問を教えようと、また政治的・社会的批判を述べても、この「壁」を克服せねば思想的説得力を持たない。
 学院当局の新執行部もなかなか決まらない。これは一面無能ということもあるがきわめて狡猾な時間稼ぎでもある。それでも3/19には小寺学長代行、3/22に城崎学長代行代理の新執行部が決まる。全共闘にとって3月は各学部教授会追及で終わる。4・5月は学年末試験阻止と新入生オリエン阻止闘争で終わる。9月の全国全共闘結成と11月首相訪米阻止闘争にわずかな期待をかけながら。学院当局の「廃校か否か」という恫喝的なアンケート郵送や、「改革結集集会」の呼びかけに全共闘指導部は有効な反撃方針を提起できず、ダラダラと全学封鎖が続く。然しそれでも6/9王子集会粉砕闘争に決起した全共闘の最後の雄姿に触れねばならない。
「前夜から関学の封鎖学舎に泊まり込んだ全共闘派学生及び神大などの応援学生約400人は午前10時から学生会館で集会を開き『結集集会を討論集会にしよう』と気勢をあげ、正午まえ学院から道いっぱいに広がってデモをしながら阪急甲東園から会場へ向かい、神大からの応援学生約70人と合流した。(中略)会場に乱入したのは外人部隊を含め全共闘系学生約400人(中略)グラウンドに座り込んだ。これに対しスタンドを埋めた一般学生約2000人は『全共闘帰れ』をシュプレヒコール。(中略)この中で小寺学長代行は全共闘学生らに『退去命令』をだし、同1時50分、機動隊約100人がグラウンド内に突入、ヘルメット学生の排除にかかった。」(6/9夕刊)
「集会は教職員、学生、同窓生を含め約9000人(大学側発表)が参加、(中略)機動隊導入による実力排除で全共闘系学生を締め出したまま、予定より10分間遅れて始まった。(中略)競技場を取り巻く機動隊、全共闘学生のシュプレヒコールが続く異常なふんいきの中で、まず城崎学長代行代理が『研究、教育と本来の大学人の業務と新生関学を創造するための討論会を組織的、継続的に行うため上ヶ原キャンパスを一日も早く取り戻そう』と集会の目的、意義を訴えた。一部から『ナンセンス』のヤジが飛んだが、大勢は拍手で支持、討論なしの提案、協力呼びかけの形で進んだ。(中略)さらに城崎学長代行代理は『封鎖学生に最後の自主退去勧告、聞きいれない場合は数日中にわれわれの手でバリケードを撤去しよう。方法はわれわれ二人に任せ起立で決意を示してほしい』と訴え、ほぼ全員起立、拍手でこたえ集会は予定より早く午後3時すぎ校歌を合唱するなかで閉会した。(中略)開会前から会場周辺を約1600人の兵庫県警機動隊が警戒、(中略)競技場に逃れた一部のヘルメット学生と小競り合いし学生24人(うち女子10人)が威力業務妨害、不退去、公務執行妨害、道交法違反の疑いで逮捕され警官、学生ら10数人がケガを負った。」(6/10朝刊)
「全学共闘会議派と応援の他大学の学生ら約200人は、神戸市灘区水道筋で二度にわたって”解放区”まがいの封鎖行為をし、一時は道路上に古木材でピケを張って交通をストップさせた。舗装路面をくだき、市電軌道撤去の工事現場を荒らすなど、一時的な”無法地帯”を生む騒ぎ(中略)水道筋いっぱいに広がるデモ。ワーッと追う機動隊。学生たちは東へ逃げながら投石を繰り返す。
(中略)約15分間の道路封鎖のあと、機動隊のハサミ打ちを察知してかヘルメット学生たちは約1000人のヤジ馬たちと、バリケードを残したままサッと引き揚げ、阪神大石駅前の児童公園で流れ解散した。」(6/10朝刊)
 追い詰められて突出するしかなかった6項目要求闘争はかくして敗北した。その要因は運動経験
の蓄積の少なさとそれ故の主体的力量の貧弱さにある。何故そうであったのか。そのためには6項目闘争に先行する薬学部設置反対闘争、43学費闘争について述べねばならない。また6/30授業再開以降の「小寺近代化路線」粉砕闘争は44年度新入生など新たな主体によって担われることになる。これについても触れねばならない。この前史と後史については他日稿を改めて述べたい。
 

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