「ミャンマー いま、いちばん知りたい国」 中村羊一郎 東京新聞 2013年
ミャンマー最北部に位置するスンプランボンは、以前は英文の綴り(Sumprabum)をもとにサンプランバムと呼ばれた。第二次大戦中ミッチーナから日本陸軍の1個中隊(55師団112連隊第3大隊所属)が進出していた。あの「カチン族の首かご」(妹尾隆彦)の舞台である。ミッチーナとプータオの中間にあるスンプラボンは戦後長い間外国人の立ち入りが厳禁されてきた。ミッチーナからプータオに至る街道は全長218マイル(350キロ)の自動車道路である。著者は2000年12月、軍政下で日本人として初めてプータオから南下してスンプランボンに入ることができた。86マイル、車で1日の行程である。
ミッチーナからスンプランボン街道を北上してプータオに至る許可がおりたのはなんと2011年2月である。そのルートを紹介しよう。
ミッチーナからからミソンを経由してティヤズン村(泊)。さらにタドウ村(泊)。ジャパン・ビャンを経て4日目にスンプランボンに着く。そしてロンシャーイエン村(泊)を経由してプータオに至る。
プータオは現在リゾート開発の波の中にあるという。南国ミャンマーの中で唯一雪山が望めるのはここだけである。然しプータオからカカラポジは見えない。ただし郊外からは、その前衛にあたるらしい雪山が望める。深田久弥は「途中の一番高い地点から、プタオ高地の北の山々が見渡せる。冬、空の澄み切っている季節にはビルマとチベットの国境の雪嶺がハッキリと現れる。その中の最高峰はカ・カルポラジ(5873メートル)で、もちろん誰も登ったものはいない。」(「続シルクロード」)と書いているが、カカラポジは見えない。
著者は茶樹の研究家である。ジャーナリストには許されない取材も一研究者として申請し入域許可さえとれば、護衛がつき道中の安全は確保されたとうい。もちろん現地では許可された以外の地域に足をのばすことはできないが。本書はそのように軍政下の「鎖国」状態のミャンマー辺境を踏査した報告である。スンプランボンはじめ、インパール作戦の地フーコン渓谷とチンドーウイン川。そしてインド洋を望むシトウェイ(アッキャブ)やミャウなど。
民政移管後の興味深い報告もある。2012年9月中旬ヤンゴンを訪れると市内の雰囲気が格段に明るくなっていた。ほとんど停電がなくなった。それは言論の自由のおかげだという。政府関係部署の、電力の絶対量は不足しておらず、無駄な使い方(首都ネビドの夜間道路照明など)にあるとする投書により、政府は早急に是正した。国民の精神的解放感と、実際の明るさが一体となってミャンマーに活力が戻ったという。
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