2014年4月16日水曜日

謎の山アムネ・マチン~古書の宝庫を訪ねてみれば⑤

  「謎の山 アムナ・マチン」 レナード・クラーク 恒文社 1974年

 アムネ・マチン(6282m)はかつてエベレストより高い謎の山と思われていた。西洋人で初めてアムネ・マチンを見たのは探検家ジョージ・ペレイラ将軍である。1992年西寧からラサへの途上、ウグツ山脈の南面チュリ・ラから見た。ジョセフ・E・ロックは中国滞在中、黄河のほとり(アムネ・マチンから東方50マイルの地点)から、遠くにチベットの山を望見して28000フィート以上の高さがある山を見たという。(「謎の山々を求めて」 ナショナル・ジオグラフィック・マガジン1930年2月号所載)そして極め付けは、第二次世界大戦中の米軍飛行士の話である。インドから中国に軍事物資を運ぶ途中、29000フィートで航行中、眼前に巨大な雪の壁が突如現れた。その山は飛行機より更に高度が高かったという。
 アムネ・マチンは北部チベットの奥深く、中国青海省の黄河源流部近くに位置している。カイラス山(6658m チベット自治区)、梅里雪山(6740m 雲南省)とならんで古来チベット仏教三大聖山の一つである。周囲を一週間で巡るコルラ(巡礼の道)もある。それにもかかわらず謎の山とされたのは、その地理的隔絶性と厳しい気候条件、それに「アムネ・マチンの番人」と呼ばれる凶暴なゴロク族の存在が部外者(とくに外国人)の接近を峻拒してきたからである。多くの西洋人が殺害された。例えば1894年この地方を歩いたフランスの探検家どドゥトルイユ・ド・ランはゴロク族に捕えられて、皮袋に縫い込められて黄河に投げ込まれて殺害された。
 米国陸軍大佐レナード・クラークはこの謎の山に初めて科学的な調査を企てた。中国国共内戦末期の1949年、国府側の青海省主席馬歩芳の全面援助も得た。敗色濃い国府西北軍の一部を、山を越えてチベットに撤退させて反共戦争を続けるためのルートを探査することを条件にして。
西寧から苦難のキャラバンを続けること2ヵ月、クラークは東方はるかに白い山のかたまりを見た。
謎の山アムネ・マチンである。
「ダンヌール峠の上で、わたしたちはオボの後ろに風を避けた。(中略)わたしは双眼鏡を取り出して、一点から一点へと、中部チベットへと延びている凍った地平線を調べた。(中略)焦点を合わすにつれて、はるかかなたに山々のぼんやりした像がはっきりとしてきて、細かい線が見えるようになった、(中略)突然、蒼白い空の一角に低く離れてたなびく雲がみつかった。たちまちその雲の下に斜めにかかった大きな氷の鏡のように、光を反射しているアムネ・マチンが、横たわっているのをわたしは知ったのである。}(本書P87~88)
山に近づいてクラークは三角測量を実施した。クラークはアムネ・マチンの絶対高度を次のようだとしている。測量地点の高度3860m+三角測量値4616m+測器修正分565m=9041m(29,661フィート)。これはエベレスト(29,144フィート)の高度より517フィート高いことになる。
 アムネ・マチンは1960年中国の調査隊によってその高度が7160mであることが確かめられた。これは後に6282mに訂正された。中国は登頂したとしているが、それは主峰ではなくⅡ峰であるようだ。アムネ・マチン主峰の初登頂は1981年日本の上越山岳会によってなされた。現在はこの秘境地帯にも比較的容易に行ける。空路北京(もしくは上海)経由で西寧にはその日のうちに到着する。西寧で車をチャーターしマチュン(瑪沁 大武)経由で雪山郷に向かう。そこからはアムネ・マチンが見える。西寧から約2日かかる。また日本発9日間のパックツアーもある。





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