「シルクロードに仏跡を訪ねて」 本多隆成 吉川弘文館 2016年
20世紀初頭三次にわたって中央アジアを踏査した大谷探検隊。その業績は欧米の探検隊に比肩する。然し研究者やシルクロードに関心を持つ一部の人を除いて、その偉業はほとんど知られていない。大谷探検隊が高校世界史の教科書(第一学習社)に載ったのは、つい最近である。その報告書「新西域記」があまりに大部(上下2巻で13キロ)で、稀覯書であり一般には利用しづらかったためである。近年大谷探検隊に関する研究は急速に進んでいる。その成果をふまえつつ、その全貌を平易に伝えようとするのが本書である。
「研究面での新たな貢献は少ない」(著者)が、大谷探検隊に関する最新情報を盛り込んだ入門書である。その特色の第一は白須浄眞、片山章雄などの最新の研究成果を取り入れ、研究の現段階を解説している点である。第二は分散して収蔵されている大谷コレクションの現況を明らかにしていることである。第三は探検隊に関係ある土地や将来資料が収蔵されている博物館を四半世紀かけて全て訪れている点である。これが最大の特色で、著者撮影のこれらの写真が本書に色をそえている。サブタイトルを「大谷探検隊紀行」とした所以である。
(研究の現段階)
従来第2次隊の帰路はミンタカパス越えか、K2西方のムスタクパス越えと考えられるような地図
が使われ、そう信じられていた(藤枝晃「大谷コレクションの現状」1991年、著者「大谷探検隊と本多恵隆」1994年)。然しそれは誤りで、実際はカラコルムパスを越えてレーに出、そこからスリナガルに至った。(「西域考古図譜」所収の大谷光瑞「大谷探検隊の概要と業績」ではカラコルムパス越えとある)これが第3次隊に予定されていた野村栄三郎のカラコルムパス通過拒否につながるのである。すなわち短期間に二度連続して国境付近を通過することが、大谷探検隊の「スパイ疑惑」を生んだのである。これは日本外務省文書の発掘と解読によって白須が明らかにした)白須「大谷探検隊研究の新たな地平」2012年)。第2次隊橘の楼蘭故城発掘についても、光瑞がヘディンから得た正確な経度・緯度を暗号電報で指示したことを明らかにしている(白須編「大谷光瑞とヘディン」2014年)また片山は探検隊編成の策源地であったロンドンにおける光瑞の動静・企図などをつまびらかにしている。
(大谷コレクション)
大谷コレクションは二楽荘の閉鎖以降複雑な分散・移転をたどったが、現在大きく次の4か所に収蔵されている。中国旅順博物館、韓国国立中央博物館、東京国立博物館、龍谷大学大宮図書館である。旅順、韓国については2014年に本書執筆のため再訪しており最新の状況がわかる。韓国国立中央博物館は2005年10月28日にソウル特別市龍山区の米軍基地跡地に移転し開館している。9万2千坪の敷地に地下1階・地上6階で世界6位の規模である。大谷コレクションは3階のアジア館の中央アジア室に展示されている。379件1700点あまりである。ベゼクリク千仏洞壁画、キジル千仏洞壁画、アスターナ古墳群出土の伏羲・女媧図などがある。旅順博物館の大谷コレクションは、その一部が日本で4回公開されている。①1988年神奈川県立歴史博物館「中国遼寧省文物展」、②1992~93年京都文化博物館「旅順博物館所蔵品展」、③2002年佐川美術館「絲綢の至宝」、④2007年青森県立美術館「旅順博物館展」である。現在は一般のツアーにも開放されている。また龍谷大学に関しては龍谷ミュージアム開設(2011年)に続き、2015年「龍谷大学世界仏教文化センター」が創設され、「西域総合研究班」で大谷探検隊に関する研究がなされている。
本書のハイライトはいうまでもなく著者による四半世紀にも及ぶ「大谷探検隊」探求紀行である。一気呵成に読むのは惜しい。暮夜、左党の向きには洋酒をチビリとやりながら少しずつ読むのがふさわしい。ちなみに著者は「大谷探検隊」研究の専門家ではないが、第1次隊員本多恵隆の孫にあたる。書かれるべくして書かれた本である。
0 件のコメント:
コメントを投稿